人生65年を歩んできた石橋則夫さんが、2025年5月、西国吉に小さなカフェ「café空(くう)」をオープンしました。教員を退職後、5年間温めてきた夢を形にしたこのお店は、堅苦しい作法ではなく、お茶本来の美味しさを気軽に楽しめる場所。手作りの器で季節のお茶をいただきながら、鳥のさえずりに耳を傾ける。そんな丁寧な時間が流れるこの場所で、石橋さんは「人生に遅すぎるスタートはない」ことを自ら証明しています。年齢を重ねてからでも新しい挑戦ができる、そんな可能性に満ちた場所がここにあります。 取材日 2025年8月12日/文・写真 Akari Tada
café空
年齢 65歳
移住時期 市原出身
出店エリア 南総地区
■65歳からの新しいスタート
石橋さんは市原市折津のご出身。市原高校から東京藝術大学油絵科へ進学し、卒業後は長年にわたり高校で美術教師を務めてきました。2025年春、教員生活に区切りをつけたと同時に始めたのが、このカフェです。
「65歳で始めるというのは、30代や40代の起業とは少し違うんです。明日どうなるかわからない年齢だからこそ、“やってみたいことを今やる”ことに意味があると思いました」と語ります。
■手作りで築いた夢の空間
お店の場所選びには時間をかけました。「自宅からある程度近くて、陶芸の窯を置けて、でも完全に孤立した場所でもない」という条件を満たす場所を探し続け、最終的に現在の更地に建物を一から建てることに決めました。
「なるべく節約したかったのと、クリエイティブな気持ちもあったので、建築は自分で」
思い入れもより深くなったという手作りの店舗は、カウンター5席、テーブル3席のこじんまりとした空間です。
店内に音楽がない代わりに響くのは、季節ごとに変わる鳥たちの鳴き声。春にはうぐいすやホトトギス、夏にはセミの声が自然のBGMとなります。店内に生けられた野の花は石橋さん自身が活けたもので、近所の方がバケツいっぱいのあやめを持ってきてくださることもあるそうです。
■40年の茶道経験が生んだ、新しいお茶の楽しみ方
石橋さんがお茶の世界に足を踏み入れたのは、結婚がきっかけでした。奥様が茶道を嗜んでいたことから「お茶を飲めるようになったら素敵かな」という気持ちで始めたお茶の道。気づけば40年近く続けることになりました。
「『茶道』や『抹茶』と聞くと、どうしてもお堅いイメージがありますよね。でも実際は、コーヒーを飲むのと何も変わらないんです」と石橋さん。利休百首の「茶の湯とは只湯をわかし茶をたてゝ飲むばかりなる事と知るべし」という言葉が、お茶の本質を表していると考えています。
café空では、作法にとらわれず片手でお茶を飲んでも全然OK。それよりも大切にしているのは、お茶そのものの美味しさを知ってもらうことです。
「夏は平茶碗を使います。空気に触れる面積が多くて冷めやすいから。冬は深くすぼまった茶碗で、熱が籠って温かさが長持ちするんです。こういう手前作法ではない部分を、いろんな方に知ってほしいんです」
期間限定梅ソーダの梅シロップも手作り。シロップを作った後の梅の実は、もう一度煮て甘露煮のように仕上げます。「シワシワになるものと、トロトロになるものがあるんです。理由はよく分からないんですけどね」と笑いながら話す石橋さん。トロトロになったものは裏ごししてジャムに、シワシワのものはトッピング用にと、最後まで大切に使い切ります。
■陶芸や和菓子、広がる可能性
石橋さんの創作活動は多岐にわたります。油絵、陶芸、そして茶道と、まさに「四足の草鞋」を履いています。店内で使われているお皿や茶碗の多くは石橋さんの作品で、お客さんは知らず知らずのうちに石橋さんの芸術作品に触れながら、お茶の時間を過ごしています。
高校時代から親しみ、教員になってからも陶芸家の友人に教わったりしながら続けてきた陶芸。今後はアトリエを活かした絵画や陶芸、茶道のワークショップなども予定しています。
「みんなで一緒に壁を塗ったり敷石を敷いたり、店そのものを完成させていくワークショップもやっていきたいですね」
お店づくりそのものが地域の人々との交流の場になっていくのも、「café空」ならではの魅力です。
■繁盛よりも、心地よいつながりを
「3ヶ月やってみて、お客さんの入りは思ったより少なかったですね」と正直に話す石橋さん。でも、経営的には大きな問題はないと言います。「繁盛というよりは、緩く長く続けていきたい。お店が満席になって慌ただしくなるよりも、お客さんとの時間を大切にしたいんです」。
現在は週末のみの営業ですが、平日はシェアキッチンとして貸し出すことも考えています。「お客さんから『ご飯物を出してほしい』と言われることもあるんですが、今のキャパではなかなか難しくて。誰かやりたい人がいたらいいなと思っています」。
café空は、人と人がコミュニケーションを取り合う場に、お茶が真ん中にあってつながりを生み出していく、そんな場所を目指しています。
■お茶がつなぐ、人と人
「抹茶はビタミンCが豊富で、風邪を引かなくなるんですよ。抹茶入りの青汁を飲むくらいなら、普通に抹茶を飲んだらいいのにって思います」と石橋さんは笑います。健康への気遣いも、お茶を通じて自然に取り入れることができます。
現在、海外での抹茶人気により供給不足が続いているそうですが、石橋さんは長年の付き合いがあるお茶屋さんから何とか確保してもらっているとのこと。「いろんなお茶屋さんの特徴を楽しんでもらいたいのですが、なかなか難しい時代になりました」。それでも、お客さんに本当に美味しいお茶を提供したいという思いは変わりません。
石橋さんは最後に、こう語ってくれました。
「お茶って、人と人をつなぐ真ん中にあるものだと思うんです。コーヒーでも同じですが、抹茶や和菓子を囲むと、不思議と会話が和やかになる。そうやって人と人がつながっていったらいいなと思っています」
市原市は、こうした新しい挑戦を温かく見守り、応援してくれる場所。石橋さんのcafé空のように、年齢に関係なく、やりたいことを形にできる環境がここにはあります。都心での慌ただしい生活から一歩離れて、自分らしい時間を大切にしながら、新しいコミュニティとのつながりを育てる。そんな豊かな人生の選択肢が用意されています。
石橋さんがcafé空で見せてくれるのは、人生に「遅すぎる」はないということ。65歳からでも新しい扉を開け、地域の人たちとつながりながら、自分らしい生き方を実現できるということです。季節の移ろいを感じながら、ゆっくりとお茶を楽しむ時間。そんな贅沢な日常が、市原市では手に入ります。
【Instagram】https://www.instagram.com/cafe_kuu_1716_25/